Recent News
「一個人」KKベストセラーズ/2005年No.66 記事 特集/絶景露天風呂の旅

「一個人」2005年No.66記事、写真共原本のままに使わさせていただきました。
これからも皆様にお喜び頂けますよう一生懸命頑張ります。 望水社員一同

撮影の模様はこちらからご覧頂けます!
「一個人」2005年No.66 Making

白川道さんが惚れ込んだ穴場温泉の露天風呂

 今現在好きなものを二つ挙げろ、と言われれば、迷うことなく、酒とギャンブルと温泉と、即答できる。  酒は一瞬、浮世もいいものだと錯覚させてくれるし、ギャンブルは浮世への未練を薄めてくれる。温泉はというと、浮世を忘れさせる効能がある。  もう、七、八年も前になるが、私が大の競輪好きであることを聞きつけて、某出版社から、日本全国の競輪場巡りをしないか、との話が持ち込まれた。むろん、ただ競輪場に行くというわけではない。訪れる先々の競輪場で勝負をし、終わったあとは、近隣の温泉場で旅の疲れを取りながら、各地の風土を紹介するという趣旨の企画である。  よだれの出るような話である。ギャンブルに、酒と温泉の付録までついているのだ。  だが残念なことに、この企画は十一回で打ち切りとなった。雑誌が廃刊となってしまったのである。 ギャンブルをする私の懐が軽くなったのはご愛敬としても、雑誌の売れ行きが芳しくなかったがために、出版社の懐までもが軽くなってしまったせいだ。  しかし今振り返ると、温泉地巡りができなくなったのは寂しくはあったが、十一回で終了してよかったとおもう。あのままつづいていれば、まちがいなく私は、北の果 て、もしくは南の果ての温泉地で討ち死にしていたにちがいない。  絶景の温泉地。それが今回のテーマだという。私は原則的に、温泉にまつわる企画話を断ったことがない。しかも絶景の温泉場まで選んでくれるという。期待で胸が膨らむのはあたりまえだ。  温泉マニアの人たちは別格として、温泉地に出掛けた回数だけにかぎって言えば、私も人後に落ちないだろう。だが私の場合は、選ぶ温泉地にいささか偏重のきらいがある。山合いの温泉地が嫌いで、海のある、海が見える所にしか食指が伸びないのだ。  理由は簡単で、根っから海が好きなのである。  私が育ったのは湘南の町で、父母の故郷は瀬戸内海に面した田舎である。つまり物心ついたころから、私は常に海の匂いのする環境のなかにいた。潮風が、馬齢を重ねた身体の奥底に眠っているのだ。  手前味噌になるが、私が海を好きなことは、私の小説を一冊でも読んでいただいた方にはわかっていただけるとおもう。デビュー作の「流星たちの宴」から最新刊の「終着駅」まで、書く小説のことごとくに、現実の海、イメージした海が登場する。「海は涸いていた」というタイトルの小説まで書いたほどである。




風が心地よいガゼボ(東屋)で、景観とお湯を楽しみながらゆったりとときを過ごす夫妻。館内4つのガゼボは、50分単位 で占有可能。

 それはさておき、今私が住んでいるのは、温泉が好きだなどとは、戯れ言だろうと眉を顰められてもしかたのない、東京のド真ン中、六本木である。俗物には俗な町が似合うと自嘲を禁じ得ないが、住まいを拠点に出掛けられて海のある温泉地となると、どうしてもかぎられてくる。温泉のメッカ、伊豆半島である。
 三十代の半ばごろから、伊豆の温泉地には頻繁に足をむけた。西伊豆、東伊豆、修善寺、河津、下田─。そのころは、若さに加えて、分不相応の金もあった。西に良い宿があると聞けば翌日は電車に揺られ、東に旨い物が食べられるホテルがあると小耳にはさめば、深夜に車を走らせた。
 しかし年を取るとともに、しだいに訪れる温泉地や宿は絞り込むようになった。寿し屋やイタリア料理店に馴染みの店ができるように、ひとっ所に落ち着くようになってしまった。
 この数年、私がもっぱら利用しているのは伊東温泉である。名は伏せるが、宿も決まっている。生意気なようだが、缶 詰め仕事をするときもそこである。おかげで伊東の町には、贔屓の寿し屋や小料理屋、それに芸者衆までもでき、時としては、伊東の沖合に釣りに出掛けたりもする。
 こうして書いてくると、まるで私が伊豆半島の温泉の生き字引みたいだが、迂闊だった。北川温泉。その名を聞いたとき、はてな、とおもった。私の辞書に洩れていたからだ。しかも、伊東からもさほど遠くない、下田の手前に位 置する絶景の温泉地というではないか。波で洗われる海岸の露天風呂には、アメリカまで見渡せる、とのキャッチコピーまでついているという。
注ぎ注がれつ交わされる二人の話題は、名物料理から絶景風呂まで途切れることがない
女将・近藤玲子さんのお迎えに、「こんないいお宿の前を通 り過ぎていましたね」と笑う白川さん


平地は海沿いにわずかにあるだけ。旅館・民宿合わせて9軒の小ぢんまりとした温泉だ

 豪勢にも参りの旅行は、十年来の連れ合いを伴うこととなった(口が裂けても言えないが、牛に牽かれて善光寺参りの図だと私はおもっている)。彼女と私は一卵性双生児の男女みたいなもので、冒頭に述べた好きな三つのものまでが一緒である。
 熱海から車に乗り、左手に海を見ながら、ひたすら南下する。伊東をすぎて二、三十分も走ると、国道沿いに「望水」の看板を目にした。小ぢんまりとした北川温泉の中央に位 置する純和風造りの旅館である。八階建と聞いていたが、平屋造りのように見える。
 すぐに合点がいった。切り立った崖に建てられた旅館は、最上階の八階が表玄関になっていて、その下に客室フロアがつづくのだ。
 大自然は、北川温泉の地に、豊潤な湯と絶景という恵みを与えた。その恵みを生かすのは、旅館の義務と言えるだろう。この造りならば、客室からの眺めに遮断物はなにもなく、遠く大島の浮かぶ伊豆の大海原を堪能できる。

  名物料理、海鮮石焼きからはジューッと礒の香りが立つ。地元野菜のオイルフォンデュは、女性に人気の特別 料理。ともに料理長・稲葉富也さんが丹誠込めてつくる
両脇に網を干す竿が並ぶ坂道など、ほっとする漁村風景があちこちに見られる。観光客が多い東伊豆の温泉地では珍しい光景だ  
 
 早速、くだんの露天風呂をのぞいた。町営とのことで、料金を払えば誰でも入浴できる。
 眼前の岩肌が波で洗われ、朝日を浴びて光り輝く水平線のはるか先には、ポッカリと大島が浮かんでいる。なるほど、先人はあの島影をアメリカと見誤ったのか。絶景である。
 真の温泉好きは、入浴のはしごをいとわない。宿の四階の貸し切り風呂─プライベートガゼボ─に場を移した。露天風呂では視線と平行して海原が広がっていたが、ここからは俯瞰する。湯煙が海上からの潮風で揺れている。またしても絶景である。
 年を重ねるごとに、益々海が好きになっている。生命の起源は海という。私はすこしずつ、故郷である海に還ろうとしているにちがいない。
 北川温泉─。迂闊にも私の辞書のなかで見落としていたこの温泉地は、これから先は不動の位 置を占めることであろう。
漁港前に仕掛けられた定置網の水揚げ風景を防波堤から眺める。柔らかな日射しと爽やかな潮風が心地よい
しらかわ とおる
作家。昭和20年生まれ。
青春時代を湘南で過ごす。
平成6年ハードボイルド小説「流星たちの宴」でデビュー。
2作目「海は涸いていた」は映画化された。
ほか代表作は「病葉流れて」「天国の階段」など。
  国道脇のエントランスだが8階。ガラス張りのロビー正面 には伊豆大島が見える

黒根岩の露天風呂を堪能したあと、朝食までの間、小さな温泉地の小さな漁港をのんびりと散歩する